教えのやさしい解説

大白法 457号
 
三類の強敵(さんるいのごうてき)
 三類(さんるい)の強敵(ごうてき)とは、釈尊の滅後、法華経の行者に対して様々な形で迫害(はくがい)する三種類の邪人(じゃにん)をいいます。
 法華経勧持品(かんじほん)第十三には、八十万億那由佗(のくなゆた)の菩薩が、仏滅後の法華経の弘通(ぐずう)を誓(ちか)って二十行の偈文(げもん)が述べられています。この二十行の偈文の中に、仏滅後の悪世に三類の強敵が出現して様々な迫害を加えられるけれども、必ず法華経を弘通していくとの決意が記されているのです。
 三類とは、勧持品二十行の偈文の内容から、妙楽大師が『法華文句記』の中で名付けたもので、第一に俗衆(ぞくしゅう)増上慢(ぞうじょうまん)、第二に道門(どうもん)増上慢、第三に僣聖(せんしょう)増上慢をいいます。増上慢とは、最勝の法を未(いま)だ証得(しょうとく)していないにもかかわらず、証得したと自惚(うぬぼ)れ、他(た)の人よりも勝(すぐ)れていると高ぶる者をいいます。
 第一の俗衆増上慢とは、法華経の行者に対して悪口罵詈(あっくめり)し、刀や杖をもって迫害する仏法に無知な在家の人々をいいます。
 第二の道門増上慢とは、自己の慢心のために法華経の行者を悪(にく)み、危害(きがい)を加える諸宗(しょしゅう)の僧侶をいいます。
 第三の僣聖増上慢とは、世の人々から聖者のように尊敬されるもの、その心は常に世俗(せぞく)のことを思って利欲(りよく)に執着(しゅうちゃく)している邪僧をいいます。この邪僧が、国王等をそそのかして法華経の行者に難を加(くわ)えさせるのです。
 妙楽(みょうらく)は、この三類の強敵(ごうてき)を忍(しの)ぶ難易(なんい)について、『法華文句記』の中で、
 「初め(俗衆)は忍ぶべし、次(道門)は前に過(す)ぐ、第三(僣聖)最(もっと)も甚(はなは)だし、後々の者は転(うたた)(し)り難(がた)きを以(もっ)ての故(ゆえ)なり」
と釈(しゃく)しているように、三類の中でも第三の僣聖増上慢が最も激(はげ)しい、しかも巧(たく)みな手段を用いて迫害します。なぜなら僣聖増上慢の正体(しょうたい)は容易(ようい)に見破(みやぶ)ることはできないからです。
 迹化(しゃっけ)の菩薩衆は、このような三類の強敵による数々の難に対し、いかなることがあろうとも法華経を弘通すると釈尊に誓います。ところが釈尊は、迹化の衆にはこの大難(だいなん)は耐(た)えられないとして地涌の菩薩を召(め)し出(い)だし、末法流布の付嘱(ふぞく)を託(たく)されました。
 この地涌の菩薩の上首(じょうしゅ)上行菩薩が、末法濁悪(じょくあく)の世(よ)に出現した日蓮大聖人なのです。
 『開目抄』に、
 「法華経の第五の巻、勧持品の二十行の偈は、日蓮だにも此の国に生まれずば、ほとをど世尊は大妄語(だいもうご)の人、八十万億那由佗の菩薩は提婆(だいば)が虚誑罪(こおうざい)にも堕(お)ちぬべし。(中略)但(ただ)日蓮一人(いちにん)これをよめり」 (平成御書 五四一)
とあるように、大聖人は妙法弘通のために勧持品の二十行の偈文を悉(ことごと)く身読(しんどく)され、三類の強敵を悉く退散せしめられて、法華経の一文一句(いちもんいっく)のすべてが正義(しょうぎ)であることを実証されました。そして、御自身が末法の本仏であることを顕わされ、本門戒壇の大御本尊を建立あそばされたのです。
 『椎地(しいち)四郎殿御書』に、
 「大難来(き)たりなば強盛の信心弥々(いよいよ)悦びをなすべし」(平成御書 一五五五)
とあるように、地涌(じゆ)の眷属(けんぞく)たる私たちは、いかなる困難があっても、強盛の信心をもってそれを打ち破り、自らの境界を切り開いていくべきです。